最新リリース
- 2024年4月23日
- 8曲
- Ella and Louis · 1956年
- Ella and Louis · 1956年
- Ella and Louis · 1956年
- Ella and Louis · 1956年
- Get Happy! (Bonus Tracks) · 1958年
- Ella and Louis · 1956年
- ジャズ100年のヒット曲 · 2017年
- ポーギーとベス · 1957年
- Priceless Jazz 1: Ella Fitzgerald · 1938年
- Ella and Louis · 1956年
必聴アルバム
- プロデューサーのノーマン・グランツは、ルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルドというアメリカの才能あふれるアーティストの組み合わせで、1956年に「Ella and Louis」、1957年に「Ella and Louis Again」という2枚のアルバムをVerve Recordsから発信していた。そして、「Porgy And Bess」は、「Ella and Louis Again」からわずか数か月後、ネルソン・リドルが編曲/指揮を務めた1959年の「Ella Fitzgerald Sings the George and Ira Gershwin Songbook」に先駆けて録音された。これはエラの一連のソングブックシリーズに追加される重要な作品であり、ガーシュウィンの特別な一面を拡大させて表現することで、多くのジャズアーティストにとって魅力的な素材となった(マイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスは、1959年3月、原曲を大胆に解釈し直した独自の「Porgy and Bess」をリリース)。エラとルイは、アレンジャーのラッセル・ガルシアの刺激的でスイングする豪華な編曲と共に、ガーシュウィン自身が「フォークオペラ」と呼んだ物語への深い感情的な想いを伝えている。 1935年(それはガーシュウィンが38歳で亡くなる2年前)に初演されたオペラは、彼の野心的な挑戦であり、極めて複雑だったといえるだろう。なぜなら、白人の有名作曲家が、アフリカ系アメリカ人の独自の言語であるブルースとジャズを使って彼らの人生を描き出そうとしたのだから。スコット・ジョプリンを含む多くの黒人作曲家たちはガーシュウィンより数十年前からアメリカの「フォークオペラ」を作り出すことを試みていたが、彼らでさえ高い評価を得ることはできなかった。1930年代、歪んだ黒人観を助長させると批判されていた「Porgy And Bess」。そして時に人種差別と公民権に対して不十分な態度と不当に非難されていたルイ・アームストロングにとっては、その狭間に苦しんだことだろう。歴史的な流れを踏まえて聴くと、かかるような問題を引き起こすのも当然かもしれない。だが音楽自身が持つ純粋で圧倒的な美しさは、そんな批判を超越していると言える。 ルイ・アームストロングが"俺らはないものだらけ"の最初のコーラスで奏でるトランペットはまるで宝石のようなメロディで、その後のエラ・フィッツジェラルドの意気揚々とした「I am glad I’m alive(生きていて良かった)」という歌詞がキラキラと光り輝く。また、ルイ・アームストロングが悲しみを込めて歌う「Bess, You Is My Woman Now(ベス、お前は俺のものだ)」はリズムから外れ、エラ・フィッツジェラルドの「Porgy, I’se Your Woman Now(ポーギー、私はあなたのものよ)」は自信たっぷりにオンテンポへと歌を導く。エラ・フィッツジェラルドの歌う「There’s no wrinkle on my brow(眉間のしわは寄せないわ)」の繊細な表現は、天上から降りてくるような素晴らしさに満ちている。そして、"女は一時の慰みものさ"におけるルイ・アームストロングのヴォーカルには、1920年代に彼自身が本来生み出したスイング感が活かされ、エラ・フィッツジェラルドのソロバラード"私はここにいたい"("I Loves You, Porgy"の別名で知られる)においては、ただただ息をのむような仕上がり。他にも"私の人は死んでしまった"、間奏曲"ハゲ鷹の歌"、そして、"オー、ドクター・ジーザス"など、心をかき乱されながらも忘れがたいナンバーでの歌声は、まさに「First Lady of Song」の異名にふさわしい。これらの多くの要素によって、「Porgy And Bess」は、その時代の最も偉大なヴォーカルアルバムの一つに数えられ、象徴的名盤との評価を得ている。
- 1956年
- エラ・フィッツジェラルドは、1950年代半ばにそれまで在籍していたDecca RecordsからVerve Recordsへと移籍。幅広い音楽ファンへのアピールを目指し、プロデューサー、ノーマン・グランツのアイデアで、1956年に都会的で洗練された楽曲で知られる作曲家コール・ポーターの作品集を制作。米西海岸を代表する編曲家バディー・ブレグマンのほか、ポール・スミス(P)やバーニー・ケッセル(G)ら豪華な布陣をバックに、得意のスキャットは抑えて優雅で気品ある歌唱により原曲の魅力を最大限に引き出している。本作はベストセラーとなり、彼女はジャンルを超えて多くの音楽ファンを獲得。ジャズヴォーカル史に残る名盤が誕生した。
- 1954年
- 2023年
- 2017年
アーティストプレイリスト
- ジャズヴォーカリストとしての資質をすべて備えたモダンジャズ史上に輝く偉大な女性シンガー。
- モダンジャズボーカルの最高峰が歌う、スウィンギーで厳かなクリスマスソング。
- 女性ジャズヴォーカルの最高峰、エラによる声を自在に操る妙技を堪能する。
- 2021年
- 2022年
- 2020年
エラ・フィッツジェラルドについて
伝説的ジャズシンガー、エラ・フィッツジェラルドのキャリアは、17歳でハーレムの名高いアポロシアターでのアマチュアナイトを勝ち抜いた時に始まった。・1935年、タイニー・ブラッドショウのバンドをバックにしたハーレムオペラハウスのステージで、プロシンガーとしてデビューした。1週間続いたこの公演をきっかけにチック・ウェッブの楽団の正式メンバーになった。・チック・ウェッブの楽団(Chick Webb and His Orchestra)と録音して大ヒットした1938年の「ア・ティスケット・ア・タスケット」は、1986年にグラミー殿堂賞入りを果たした。・『Ella Fitzgerald Sings the Cole Porter Song Book』は、マネージャーが彼女のために設立した伝説的ジャズレーベルのヴァーヴ・レコードから最初にリリースされたアルバムだった。・1959年には、黒人アーティストとして初めてグラミー賞を受賞。『Ella Fitzgerald Sings the Duke Ellington Song Book』でBest Jazz Performance, Individualに選ばれた。・1964年にビートルズのカバー曲「Can’t Buy Me Love」をリリースし、初めて全英チャートのトップ40入りを果たした。・1987年には国民芸術勲章、1992年に大統領自由勲章を受章した。・フィッツジェラルドに大きな影響を受けたと公言するアーティストには、アデル、レディー・ガガ、ラナ・デル・レイ、ビョークがいる。
- 出身地
- Newport News, VA, United States
- 生年月日
- 1917年4月25日
- ジャンル
- ジャズ