吉田拓郎

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吉田拓郎について

吉田拓郎は1970年代のフォークの時代を代表するカリスマシンガーであり、若者の心をつかんだスターである。彼によってフォーク界隈、そして音楽シーンの空気は一変した。吉田は、力強くも優しい思いをつづった言葉で、自分らしく生きる姿勢を歌ったのだ。登場は鮮烈だった。42番ある歌詞を叫ぶ「イメージの詩」(1970年)、青春についてストレートに歌う「青春の詩」(1971年)といった曲は、繊細で内省的であるというフォークソングの先入観からはみ出していて、その自由さには吉田が敬愛するボブ・ディランの影が見えた。歌謡曲、フォーク、ロックというジャンル間の論争や、さらに政治的な主張のぶつかり合いも激しかったこの時代に、彼はあくまで自分流を貫き歌った。その人気は、心情を包み隠さずにつづった「今日までそして明日から」(1971年)、アルバム『人間なんて』(1971年)、そして翌年シングルカットされた「結婚しようよ」(1972年)へと至る流れで爆発する。特にヒットした「結婚しようよ」は激烈な学生運動の季節が過ぎ去った若い世代の人生観を反映していると、当時の社会情勢と共に語られることが多い。こうした楽曲と吉田の鮮やかなイメージは、どこか薄暗い印象だったフォークソングへの見方すら変えていった。その快進撃は1970年代を通して続いた。「春だったね」や「旅の宿」などリリシズムに満ちた楽曲を収録した名作『元気です。』(1972年)、さらに「落陽 (Live)」(1973年)、「人生を語らず」(1974年)といった激情ほとばしるフォークソングなど、この時期は彼の代表作と言える楽曲が数々リリースされた。またライブでは長時間の激しい演奏となる「人間なんて」(1971年)がクライマックスの一曲となった。その一方で吉田は、1979年の篠島でのオールナイトライブをはじめ大規模な野外ライブを行うなど、コンサートでも革新的なアプローチを見せている。さらにラジオパーソナリティとしての活躍や、CMなどのタイアップ曲制作、レコード会社の設立など、従来のアーティスト像とは異なる数々の行動が音楽シーンに影響を与え、変革をもたらしていった。吉田のこうした型破りな動きは、枠にとらわれない音楽性も含め、J-Popの先駆者という評価も受けている。そしてJ-Popが一般化した1990年代にはテレビの音楽バラエティ番組『LOVE LOVE あいしてる』の司会を務めるなど、お茶の間でおなじみの存在となった。当時は同番組を軸に、自身が作曲したKinki Kidsの「全部だきしめて」を自ら歌ったり、番組でバックバンドを務めたLOVE LOVE ALL STARSが参加したセルフカバーアルバム『みんな大好き』(1997年)が生まれたりと、新たな吉田拓郎像を示した時期となった。フォークの時代からJ-Popの時代へ。吉田拓郎の軌跡は、日本の大衆音楽の一つの筋道であるといえる。

出身地
Isa
生年月日
1946年4月5日
ジャンル
J-Pop

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