1曲、4分

タイトル 時間

評価とレビュー

時の園丁

音楽的なリズム感とともにさりげなく表現される奥深さ

 年月という時の刻においていのちを授かった人間が、その人生という時の刻を掛け替えのないものとして経験していくことの意味を、音楽的なリズム感とともにさりげなく表現しているような奥深さを感じさせてくれる曲です。
 それは樹木を生かし育むために樹木自らに授かった葉が自然とかかわり合い季節の変化とともに生き、新たないのちへの実りを得る役目を終えることによって樹木から離れ枯れ葉となってゆっくりと空中を漂いながら地面に舞い落ちていき、やがて朽ち、土と一体になりいのちを育む養分として繰り返して樹木のいのちと一体になっていく自然の摂理における循環の一部始終を思い起こさせてくれるような曲です。
 この曲における石嶺聡子さんの歌唱には、その無常と不変なる本質に逆らうことなくそれらの全てを一人の掛け替えのない人間として受け入れているような不可思議さがあります。

音海人

プロの品質ではない。

ミュージシャン本人の実力や人気と、音源の完成度とは、完全に別問題。
「久しぶりの新音源だから」という理由だけで評価されるのでは、命を削って本気で音を仕上げている業界の方々に失礼です。

これは、本当に可能な限り全ての努力を尽くした結果の音でしょうか?
本当に、機材の性能をフルに発揮してアレンジ、レコーディング、ミックス、マスタリングを施して、これ以上は不可能と自分自身で胸を張れる完成度にまで達した末に、世に送り出した音源なのでしょうか?

私はそう思いません。
率直に申し上げて、これは現代の一流のプロが仕上げた音とは言い難い。

作り手の皆さんは、日々どのように音楽と接しているのでしょうか?
アナログの生演奏ではなく、デジタルという限られた帯域幅の離散値で量子化された音というものに対して、どのような意識を持っているのですか?

なぜこんなにミックスが簡素で、つまらないのでしょう?
なぜこんなにマスタリングが低レベルで、リミッティングが不自然で、体感音圧に乏しいのでしょう?

常日頃から、他のプロの音源と自分の音源を聴き比べるという、極めて重要な習慣を怠っているのではないですか?
だから、自宅のスピーカーやヘッドフォンで同じ音量で聴いても、自分の音源が他者よりも劣っているのではないかという危機感や、違和感を全く抱けないのではないですか?

そのように鈍感で、プロ意識の片鱗も感じられない人々が、金銭と引き換えに、音という目に見えない存在に付加価値を与え、リスナーの皆さんに手渡してもよいのでしょうか?

11年前の彼女のオリジナルアルバム『[[ASIN:B0000UN51G ブルーミー・バルーン]]』が、予想以上の低評価にとどまった理由は何だったのでしょう?
最大の原因は、音圧レベルが極めて低かったからです。

多くのレビュワーの皆さんは、楽曲の完成度とか、歌い手のスキルばかりに目を向け、ダイナミクスやステレオイメージなどの音づくりそのものに対する着眼点が欠如しています。
どんなにアレンジが豪華でも、どんなにミックスが秀逸でも、ラウドネスとダイナミックレンジの両立が高次元で達成できていない音源というものが、聴き手の深層心理にどれほどネガティブな影響を与えるかということを、理解していないからです。

もしも、作り手がそれを理解していないとすれば、致命傷です。

同時期にiTunesでリリースされた『この世界を』という音源がありますが、あのミックスはなぜモノラルなのでしょうか?
モノラルというのは、左右のスピーカーから全く同じ位相の音が出ているために、ステレオイメージの広がりが存在しない音像のことです。

果たして、あの楽曲は本当に、意図的にモノラルのままの状態で、発売に至ったのでしょうか?
21世紀の今、人間には左右に二つの耳があるというのに?
それとも・・・ただの「怠慢」だったなどという可能性が?

一流のシンガーを応援するのなら、リスナーの皆さんも単に褒めるだけではなく、一流の意識を持って音を吟味する姿勢が重要だと思います。

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