美空ひばり

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美空ひばりについて

昭和時代の日本を明るく照らした希代のシンガーであり、エンターテイナーでもある。彼女が残した歌の数々には、時代ごとの日本の姿が映し出されている。その事実は、代表的な楽曲の背景を追うだけで見えてくる。最初の大ヒット曲「悲しき口笛」(1949年)は弱冠12歳で初の主演となった同名映画の主題歌で、伸びやかな声が印象的。まだあどけなかったものの、美空は当時“天才少女歌手”と呼ばれ、シルクハットとえんび服ではつらつと歌う姿は、まだ世界大戦からの復興期にあった日本に明るい希望をもたらした。1952年の「リンゴ追分」も映画主題歌だったように、テレビが普及する前の時代においては映画が国民の娯楽の大舞台だったことがわかる。なお、この「リンゴ追分」はサザンオールスターズ、UA、ジャマイカのスカバンドのスカタライツなど幅広いジャンルのアーティストにカバーされている。日本が戦後の貧困を耐え忍んで高度経済成長期に入ったころ、美空は歌謡界を代表する存在の一人となり、大人の年齢に差しかかっていた。「柔」がリリースされた1964年には柔道を競技の一つに加えた東京オリンピックが開催されている。1966年の「悲しい酒」は演歌がヒットチャートの常連になった時代に提供されたもので、翌1967年、ミニスカートでゴーゴーダンスを踊りながら歌った「真赤な太陽」は全盛期を迎えていたグループサウンズの香りが濃い。また、1986年の「愛燦燦 (あいさんさん)」はCMソングとして作られた曲である。1988年4月には東京ドームのこけら落とし公演を行ったが、この時期の美空は病魔と闘っており、コンサートの楽屋裏では医師が常駐するような状態にあった。そんな中、1989年に彼女が若い世代にメッセージを残すという企画から生まれた「川の流れのように」は久々の大ヒット曲となったが、残念ながら自身はその年の6月にこの世を去ることとなった。この曲もまた、現在に至るまで数え切れないほど多くのアーティストにカバーされている。出演映画は1940年代から1970年代にかけて150作を超え、しかもそのほとんどが主演作であり、シングルは生前に発売したものに限っても300作以上と、すさまじくエネルギッシュな活動ぶりだった。52年の生涯は決して長いとはいえないが、少女のころから長期にわたって築いた美空の功績は日本芸能史に燦然(さんぜん)と輝いている。また、亡くなったのが平成時代に入ってすぐであり、その直後に国民栄誉賞を受賞しているので、当時を生きた民衆には昭和の偉人として記憶されている。美空ひばりというシンガーの歌、そしてその一挙手一投足が、まだ貧しかったころの日本に住む多くの人々の心を励ましたことは、遠い未来になってもきっと語り継がれているだろう。

出身地
Yokohama, Kanagawa, Japan
生年月日
1937年5月29日
ジャンル
歌謡曲

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