おすすめコンピレーション
- 2017年11月10日
- 54曲
- Cold Heart (PNAU Remix) - Single · 2021年
- Elton John · 1970年
- The Lion King (Original Motion Picture Soundtrack) · 1994年
- Hold Me Closer - Single · 2022年
- Learn To Fly - Single · 2019年
- Goodbye Yellow Brick Road · 1973年
- Honky Château · 1972年
- トゥ・ロウ・フォー・ゼロ+3 · 1983年
- Diamonds (Deluxe) · 1972年
- Goodbye Yellow Brick Road · 1973年
必聴アルバム
- エルトン・ジョンがオスカー獲得。臨場感あふれる空間オーディオで魅力を再発見。
- 本作の大半は、エルトン・ジョンとバーニー・トーピンのコラボレーションで築き上げられた。コンセプトアルバムであり、“Brown Dirt Cowboy(薄汚いカウボーイ)” の役を担うバーニーと、”Captain Fantastic"を演じるエルトンの、キャリア初期にもがき苦しんでいた頃をテーマとしている。独自の自由自在なスタイルを追求し、ミュージックシーンをのし上がっていく様を音楽が反映しているのだ。“Someone Saved My Life Tonight”や“Curtains”などの壮大なバラードと、気取ったハードロックの“(Gotta Get a) Meal Ticket”、フィラデルフィア精神を歌った“Tell Me When the Whistle Blows”など幅広いサウンドが混在するが、バンドのタイトなサポートと天性のメロディックなスタイルでアルバムとして上手くまとめ上げている。リマスターバージョンの本作では、ボーナストラックとして“Philadelphia Freedom”と“Lucy in the Sky With Diamonds”、さらに1975年のオリジナルリリース直前に作られた、ジョン・レノンが作詞を手掛けたB面ナンバー“One Day at a Time”も収録。
- 1973年にリリースされた7枚目のアルバムで、彼の長いキャリアを通じての代表作として知られる名作。「Honky Chateau」や「Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player」と同じくフランスのエルヴィル城でレコーディングされたが、当初はジャマイカのキングストンで制作が試みられたため、スカ/レゲエ風の楽曲も収録。世界中で愛されるタイトル曲"グッバイ・イエロー・ブリック・ロード"や全米シングルチャートのトップを獲得した"ベニーとジェッツ"のようなブルーアイドソウル、マリリン・モンローへ捧げた"風の中の火のように"など、作詞家バーニー・トーピンとのコンビネーションも絶好調。幼少時代や過去への憧憬を掘り下げ、当初はアナログレコード2枚組の形でリリースされた聴きごたえたっぷりの傑作アルバム。
- そのファッションセンスにも劣らないほどに野心的な、"ロケットマン"のヒット曲。
- 英国が誇るピアノマン/エンターテイナーの数々の名曲とその軌跡を映像で。
- 50年にも及ぶ音楽活動を通じて生み出された歴史に残る恋歌。
- 彼の偉大な才能に導かれたアーティストは数え切れない。
- ポップなインスピレーションから生まれる、高揚感とエンパワーメント。
- エルトン・ジョンが選ぶ、家で過ごす時に大切にしているアップビートなナンバー。
- 2022年
- 2021年
ライブアルバム
- 2019年
ベストアルバム、その他
- 2023年
- 2020年
- 2017年
- 2007年
- 1995年
- 1992年
- エンゲルベルト・フンパーディンク
- Taron Egerton & Elton John
- Bright Light Bright Light
ラジオ番組
- ミュージックレジェンド、エルトン・ジョンが明かすお気に入りの音楽。
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エルトン・ジョンについて
エルトン・ジョンの人気が絶頂期だった1970年代、熱に浮かされたような生活を送っていた彼は眼鏡デザイナーのデニス・ロバーツに巨大なメガネを特注した。電池式のライトが57個も埋めこまれ、「ELTON」の文字の形をした彫刻のようなメガネにかかった代金は、なんと5000ドル。現在の金額に換算すれば2万5千ドル相当の代物である。ジョンは世間をあっと言わせようとした。これだけでもすごい話だが、それだけではなかった。彼の“やり過ぎ感”は日常茶飯事だったが、ラインストーンをちりばめ、派手な衣装をまとった古き良きハリウッドを思わせる風貌の魅力が、ジェンダーの境界がなくなりつつある新時代にフィットした。そして羽飾りの下には、長年活動を共にする作詞家バーニー・トーピンと手掛けたジョンの音楽があった。まっすぐで、気取らず、どんな境遇のリスナーにも寄り添うようなロックンロールが。たとえ歌詞の意味がはっきり分からなくとも(名曲「Tiny Dancer」に登場するダンサーの正体は誰で、どうしてそんなに小さい(=tiny)のか、など)、歌われている感情はダイレクトで普遍的だった。本人いわく、1973年に『Goodbye Yellow Brick Road』をリリースするころには、朝食時に何曲か作り、昼前にはそれらのレコーディングを終えるほどのスピードで曲を書き上げていたという。しょせんポップミュージックなんだから、とジョンは言う。あれこれ頭を悩ませるようなものじゃない、そんなことしたってどうにもならないよと。しかしふたを開けてみれば、彼の曲は50年経った今も歌い継がれているのだ。1947年、イングランドのピナ―で生まれたエルトン・ジョン(本名Reginald Dwight)は幼くしてピアノを弾き始め、王立音楽院の奨学生として勉学に励む傍ら、ジェリー・リー・ルイスやリトル・リチャードを夢中になって聴いた。ピアノを弾くだけでなく、“ビートを刻む”彼らの動きにジョンは圧倒された。そして15歳からはパブで演奏し始め、20歳を迎えたころに、音楽雑誌のメンバー募集欄で作詞家のトービンと知り合った。楽あれば苦あり、浮き沈みも経験した。1975年、バリウムの錠剤をひとつかみ飲んだ後プールに飛び込んだこともあった。彼いわく、廃れかけていた流行に便乗してディスコアルバムを作ったこともあった。だがジョンは騒乱の1970年代も再構築の1980年代も生き抜き、傷だらけになりながらも、決して打ちのめされることなく乗り越えてきた。ゲイカルチャーのアイコンで、エイズ活動家にして慈善活動家。英国王室からナイトの称号を授かり、2児の父親でもある。デビューアルバム『エンプティ・スカイ (エルトン・ジョンの肖像)』から50年近く経った2018年、彼は数年にわたる引退ツアーをスタートさせ、2019年には初の自叙伝『Me』を出版した。そして、Apple Music 1の番組『Rocket Hour』のホストDJであり、グラミー賞、アカデミー賞、ブリット・アワード、トニー賞、アイヴァー・ノヴェロ賞といった、数えきれないアワードの受賞者であるエルトンは、エリザベス2世から授けられたナイトの称号に加えて、2020年にはコンパニオンズ・オブ・オーナーの勲章を授与されている。
- 出身地
- Pinner, Middlesex, England
- 生年月日
- 1947年3月25日
- ジャンル
- ポップ