エルヴィス・プレスリー

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エルヴィス・プレスリーについて

1992年、アメリカの郵政公社がある重要な問題に関して全国規模の投票を行った。それは、制作予定の切手に若いElvisと晩年のElvisのどちらを載せるべきか、という問いだった。100万を超える投票のうち75%以上が若いElvisを選んだのだが、そもそもそんな質問がされた事実自体が、Elvis Presleyという存在と彼が記憶されるべき姿を定義することの難しさを物語っている。つまり、彼は画期的なR&Bシンガーなのか、それとも甘い声で歌うハリウッドの人気歌手なのか。あるいは、ロックのパイオニアなのか、それともラスベガスのショーマンなのか。 彼はブルースを白人のオーディエンスのために合法化したアーティストなのか、それとも黒人ミュージシャンから盗用したアーティストなのだろうか。実際、Elvis Presleyとはそのすべてであり、同時にそれ以上の存在でもある。彼というプリズムを通せば、人種やポップカルチャー、さらにアメリカンドリームについて私たちが抱くあらゆる神話が屈折して別のものに見えてくる。1935年、ミシシッピ州テューペロに父親が建てた2部屋しかない小さな家で生まれたPresleyは、10代になるとメンフィスに移り住み、高校を卒業した2か月後にサン・レコーズで初めて楽曲をレコーディングした。彼はカントリーだけでなく、ブルースも好きだった。バラードを好みながらも、彼のパフォーマンスからはロックンロールの原型となる激しいエネルギーがあふれ出ていた。彼をブレイクさせた「That’s All Right」は、ブルースシンガーのアーサー・クルダップの楽曲をアップテンポでカバーしたものだが、控えめなバージョンのテイクの合間にPresleyが行った暇つぶしがきっかけだったと伝えられている。Presleyは白人のオーディエンスに向けたR&Bを初めて成功させたアーティストの一人となっただけでなく、テレビ出演によって良くも悪くも有名になった初のパフォーマーでもあった。もっとも、彼の腰の動きは新聞記事ではうまく伝わらなかった。ニューヨーク・タイムズ紙は1956年6月にPresleyが『Milton Berle Show』で披露したパフォーマンスについて、こう伝えている。「彼の特徴といえる強調された身体の動きは、元来バーレスクの花道で踊るブロンドのセクシー美女に見られてきたものだ」Presleyはスクリーンで映える見た目を武器に映画スターとしても成功し、1960年代の大半をハリウッドで過ごした。「Can't Help Falling In Love」や「Return to Sender」など、彼の代表曲には自身が出演した映画のサウンドトラックとして生まれたものもいくつかある。1968年、彼は初期の勢いを取り戻すべく、テレビの特別番組『Elvis』を企画し、そこで1961年以来となるライブパフォーマンスを披露した。そして翌年にはアルバム『From Elvis In Memphis』をリリース。突如として当時のポップやソウルとさりげなく歩調を合わせてみせたPresleyは1977年に心臓発作で亡くなるまで精力的にツアーを続けた一方で、次第に世間から身を隠すようになり、ある時からスタジオに出向いてレコーディングするのを止め、メンフィスにある彼の邸宅“グレイスランド”にRCA Recordsが届けた可動式スタジオを好んで使うようになった。また、金に糸目を付けない車マニアだった彼は、キャデラックのショールームの前で見知らぬ人々に近寄り、好みのモデルと色を尋ね、いきなり勘定を済ませることもあったという。そんな彼の葬列には、推定8万人もの人々が参列し、母親の隣に埋葬された。

出身地
Tupelo, MS, United States
生年月日
1935年1月8日
ジャンル
ロック

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