ニルヴァーナ

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  • In Utero (20th Anniversary Edition)
  • Nevermind

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ニルヴァーナについて

ニルヴァーナが1991年にリリースしたシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の大胆不敵なオープニングコードは、単なるギターリフを超えて、まるでカチカチと音を立てる時限爆弾のようだった。ポップカルチャーを瞬時に一変させるほどの大爆発を引き起こし、その余波は今日に至ってもなお感じられる。シアトルを拠点とする3人組のセカンドアルバム『Nevermind』の幕開けを飾るこの楽曲をきっかけに、太平洋岸北西部のアンダーグラウンドシーンで生まれたグランジのサウンドがメインストリームに参入しただけでなく、ラジオのロックステーションのプレイリストは瞬時にオルタナティブロックで埋め尽くされ、古着屋のフランネルシャツがファッションのマストアイテムになり、レコード会社が次の型破りなクロスオーバーバンドを求めて、アメリカ中のインディーシーンを探し回るようになった。ワシントン州アバディーンで1987年に結成されたバンドが、1989年のデビュー作『Bleach』をリリースした時には、その運命を先見する人はほとんどおらず、彼らはグランジシーンの中心的存在だったMudhoneyの弟分として位置付けられていた。しかしボーカル/ギタリストのカート・コバーンが「About a Girl」のさびついた音の中であらわにしたのは、正統派のDIYパンクとは相いれない、ジョン・レノン風のメロディの感性だった。コバーンとベーシストのクリス・ノヴォゼリックはドラマーのチャド・チャニングを解雇し、ジョン・ボーナム級にパワフルなデイヴ・グロールを迎え入れた。そしてバンドがシアトルのレーベル、サブ・ポップからメジャーレーベルのDGCに移籍してリリースした『Nevermind』は、1960年代ポップのフックに1970年代ハードロックの重厚感と、1980年代ポストハードコアのノイズ、そして永遠に変わらないティーンエイジャーの苦悩を融合させ、1990年代を定義するサウンドを生み出したのだ。1992年1月の全米チャートでマイケル・ジャクソンから首位を奪った『Nevermind』は、驚異的な成功を収めた。コバーンは甚大な影響力を及ぼすことになり、郊外のキッズが社会的意識の高いパンクスに転向したり、無名のアーティストがニルヴァーナのTシャツを着ていたおかげでメジャーレーベルと契約を結べたりしたほどだった。しかし、ホールのリードシンガー、コートニー・ラブとの波瀾(はらん)万丈な結婚生活のせいで、タブロイド紙の格好のターゲットにもなってしまう。彼が重圧にさいなまれていたことは、『Nevermind』に続く1993年の痛烈なアルバム『In Utero』の至る所で感じられる。アルバムチャート初登場1位を記録したこの作品は、史上最も生々しく怒りに満ちたアルバムになったが、同時に優美なフィナーレ「All Apologies」ではコバーンのソングライターとしての成長がはっきりと示されてもいる。そしてこの曲はアルバムの幕引きだけでなく、彼自身を見送る曲にもなり、1994年4月、コバーンは27歳で自ら命を絶った。だがもちろん、これほど偉大なアイコンがこの世界から消え去ることはない。ニルヴァーナはその後もコートニー・バーネットやTy Segallといった21世紀のインディーロックのアーティストに圧倒的な影響を与え続け、その一方でグロールが率いるフー・ファイターズはメロディアスなヘヴィロックをチャートの上位に送り続けている。さらにコバーンは、不屈の精神のロールモデルとしてケンドリック・ラマーやジェイ・Zなどのスターから名前を挙げられるだけでなく、リル・ピープやジュース・ワールドといったサウンドクラウド育ちのエモラッパー(特にこの2人は彼らのヒーローであるコバーンと同じく、自分のサブカルチャーをポップ現象に変えた後であまりに早くこの世を去ってしまった)にとって悲劇の人物のモチーフとなるなど、現代のヒップホップ界でも大きな存在感を示している。

出身地
Aberdeen, WA, United States
結成
1987年1月
ジャンル
オルタナティブ

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アフリカ、中東、インド

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ラテンアメリカ、カリブ海地域

米国およびカナダ