J Dilla

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J Dillaについて

ジェイ・ディー (Jay Dee) という愛称で知られていたJ Dilla(以下ディラ)は生前、ヒップホップ界で最も大事に守られている秘密のような存在だった。1974年生まれのディラ(本名James Dewitt Yancey)はデトロイトで育ち、1996年に高校時代の友人であるBaatinとT3と組んでスラム・ヴィレッジを結成した。デトロイトのセッションミュージシャン、アンプ・フィドラーに薦められたMPCドラムマシンを導入したディラは、彼の名刺代わりとなるドラムサウンドを開発する。それは、生演奏のようなオフビートのリズムと、サンプリングした音源を見違えるほど温かみのある音に変える錬金術的な能力を兼ね備えたサウンドだった。スラム・ヴィレッジがアンダーグラウンドのファンベースを獲得するにつれて、ディラはデ・ラ・ソウル、ジャネット・ジャクソン、バスタ・ライムスの楽曲のプロデュースを手掛けたが、クレジットに載らないこともしばしばあった。1999年までに、彼は多作な黒人アーティストたちによる音楽集団、The Soulquariansのメンバーとなり、エリカ・バドゥ、ディアンジェロ、コモンのアルバムをプロデュースし、今となっては神秘的な存在となっているビートの数々をオンラインでシェア、そしてソロデビューアルバム『Welcome 2 Detroit』を発表した。またこの頃、彼はマッドリブと組んでJaylibというグループを結成し、カリスマ的でシンコペーションのあるライムを支える2人の優れたプロダクションスキルを披露したアルバム『Champion Sound』を作り上げた。2002年、ディラの健康状態が、まれな血液疾患と狼瘡(ろうそう)によって悪化し始めた。それでも彼は、この世を去る際に2作のアルバムを残し、プロデューサーとしての明白な優れた腕前を最後に披露した。2006年、彼が他界する数日前に発表されたインストゥルメンタルアルバムの『Donuts』は、サンプルフリップの手法をマスターする特別講義のような作品であり、それが彼が愛した人たちへの心温まるお別れのあいさつとなった。また、ディラが共同制作者であるカリーム・リギンズに完成を委ねた『The Shining』では、彼の死後、コモンやファロア・モンチ、 Guilty Simpsonといった友人たちと共に、彼のMCとしての強力なスキルを披露した。ディラの計り知れない影響力は、彼の死から何年も経過した後も、無数のアーティストたちを感化し続けている。例えばKnxwledge、フライング・ロータス、 Earl Sweatshirtは、彼の型破りなリズムとサンプリングを学んでいるし、デトロイトで毎年開催されているイベント、ディラ・デイ (Dilla Day) は、忘れ難い彼の遺産を知らせてくれるのだ。

ジャンル
ヒップホップ/ラップ

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