ジョン・バルビローリ

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ジョン・バルビローリについて

ジョン・バルビローリは、1950年代から1960年代にハレ管弦楽団をイギリス屈指のオーケストラに育て上げ、同楽団と共にエルガーやマーラーの作品の録音に力を注いだことで、それまで過去の遺物のように扱われていた作曲家たちに対する世間の認識を一変させた。1899年にロンドンで生まれたバルビローリは、やがて指揮者になることを目指すようになる。キャリアの初期にはチェリストとして活躍し、エルネスト・アンセルメやトーマス・ビーチャム、そしてエドワード・エルガーなどの指揮の下、ロンドンの一流のシーンで演奏活動を行った。彼はその中で、エルガーの楽曲に対して特別な共感を覚えるようになったのだ。そして、1920年代にはいよいよ指揮者へと転じ、主にオペラの分野で腕を振るった。1936年には、30代の若さでトスカニーニの後任としてニューヨーク・フィルハーモニックの首席指揮者に抜擢され、1943年にイギリスに戻り、亡くなるまで長きにわたってハレ管弦楽団の首席指揮者を務めた。バルビローリの指揮の魅力は、1964年に録音されたエルガーの『交響曲第2番』にも顕著に表れている通り、深くおおらかな表現だった。それは、長い時間をかけた綿密な準備に裏付けられたものであり、マーラーの交響曲を演奏するに際しては、オーケストラとのリハーサルに入る前に2年かけて準備をしていたことが知られている。そのため彼のレパートリーは、エイドリアン・ボールトのような同時代の指揮者と比べると少なかったが、それでもベートーヴェンからシューベルト、ヴェルディ、プッチーニ、シベリウス、ベルクまでをも網羅していた。また、ブリテンの『ヴァイオリン協奏曲』(1940年)や『シンフォニア・ダ・レクイエム』(1941年)、ヴォーン・ウィリアムズの『Sinfonia Antartica(南極交響曲)』(1953年)や『チューバ協奏曲』(1954年)、『交響曲第8番』(1956年)など、母国の作曲家による重要な作品の初演も手掛けている。最晩年まで指揮台に立ち続けたバルビローリは、1970年に生まれ故郷のロンドンで人生の幕を閉じた。

出身地
London, England
生年月日
1899年12月2日
ジャンル
クラシック

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